蒼光龍 自己創造世界

自己研究家 人はそれぞれの思いで創られた世界で人生を過ごす事になる。自分の人生について、スピリチュアル視点から持論を語る。 

廃れた祠・・・。

 

昔潜在意識に聞いた事がある話だが、

 

 

今ではお参りをする人も少なくなって廃れてしまった祠(神社だったかもしれない・・・。)で、

 

 

元々祀られていた神様の力を悪用する人間がいたらしい・・・。

 

 

上記の事で多分色々な意味を含めて神様が怒った事で、

 

 

自然災害が起きた事例もあるらしい・・・。

 

 

自分には見えない力や神様の力の事については何にも分からないけど、

 

(見えない力を行使する力を持っていないという意味で・・・、)

 

 

潜在意識は上記のエピソードを、

 

 

「畏れの心」に触れながら教えてくれた。

 

 

 

 

神社の力というのは、

 

 

それまで多くの人が「祈り」として積み重ねられてきた「感謝の気持ち」らしい。

 

(だからパワーを持つ「パワースポット」が生まれる。)

 

 

神社という所は「人々の心の支え」という意味合いから、

 

 

「人々の願いを聞いてくれる場所」でもあるが、

 

 

その前に、

 

地主神などで言えば、

 

 

担当地域を平穏な状態を保ってくれている存在でもあるから、

 

 

「いつもありがとう」という気持ちを持たないまま、

 

 

「願いを叶えさせて!!(クレクレ)」ばかりの参拝はいかがなものかな?

 

 

と感じる。

 

 

「神社からパワーを貰うだけの参拝をしめいたら、神社は廃れて行くばかりじゃないの?」

 

 

 

神社の鏡に映る自分に、

 

 

「クレクレ」

 

 

と呼び掛けても、

 

 

何にも出てこないと思う・・・。

心掛け・・・。

 

やっぱり何だかんだと考えていた物が一周すると同じ所にたどり着く。

 

「天国と地獄はこの世にある。」

 

(自分の思考が作り出す。)

 

 

又は、

 

「結婚すれば幸せになれる。」

 

とか、

 

 

「暮らし易い世界で過ごしたい。」

 

 

などは、自分や周りの人々によって作られる雰囲気による。

 

 

「他人は自分の鏡」だから、

 

 

自分の心境が周りに反映される。

 

 

上記のキーワードをまとめたら、

 

 

 

「自分の心持ち」次第ではあるが、

 

 

他人(人間関係)も含めた話をするのであれば、

 

 

「自分の(自分に対する)心掛け」次第なんだ。

 

 

というのが理想となる。

 

 

元々人間として「喜怒哀楽」を味わう為に生まれて来ているので、

 

 

二元論で言う「善と悪」は心の中に兼ね備えている。

 

 

そんな心の中の心境を受け入れ、腑に落とした上で、

 

 

「自分で放出したエネルギーは自分に戻ってくる。」法則に従って、

 

 

「自分がされて嫌なエネルギーを自分から出さない。」

 

(注:やんちゃな考えも魂が楽しいと思えるから出てくるエネルギーだから放出されるのは仕方がないけれど、「ほどほど」に控える。)

 

 

色んな人に対して受け入れる環境を作るには、

 

 

自分から見返りを求めないエネルギーを出す事。

 

(秘訣として大事な人に対しても適度な距離を作る。)

 

    ↑

 

距離感の作り方を自分で工夫する。

 

 

やっぱり上記の内容を実践しようと考える場合、

 

 

「陳腐」と言われる言葉やセリフがキーワードになる。

 

 

人生って何度も何度も色んな道筋を(興味本位からくる感情でも構わない。)辿って同じ場所に戻ってくる事の確認を繰り返しているんだろうなぁ・・・。

 

 

勿論不特定多数の人々に対して言うのであれば、

 

 

「生き方や考え方はどんな物でもあって良い。」

 

 

但し、あらゆる物に一長一短がある中、

 

 

どんな物(生き方や考え)を選択するかは自己責任に基づくと腑に落とす。

 

 

未来で迎える結果は積み重ねた経緯の結果。

 

 

途中で悪いと思う道筋から軌道修正したいのであれば、

 

 

心の中で一度立ち止まって「自分の中にある分け御霊(佛心や光、ソースなど呼び方にはこだわらないが・・・。)と対話してみる。」

 

 

(理想を理想と捉えるばかりでは現実に反映されない。自分の中でトライ&エラーがあっても良いじゃない。)

 

 

多分世界は完璧に回っているよ・・・。

しょうがないなぁ・・・。

 

古き良き時代の漫才だったり、

 

(イメージは「のいるこいる」さん)

 

 

日本の映画やドラマ、コメディなどで、

 

(「寅さん」や「てなもんや」など・・・。)

 

 

物事を上手く捉えられない人や、

 

 

「変わっているね。」と言われる人に対して、

 

 

「もぅ!!しょうがないなぁ・・・。」

 

 

というセリフをよく使っていた。

 

 

相手の事を肯定もせず、否定もせず、

 

(肯定したり、否定しながらも)

 

 

結局は何だかんだ言いながら、

 

 

そんな相手と普通に暮らしていた。

 

 

 

 

自分も反省するべき点ではあるが、

 

 

いつの頃からか、

 

 

「これは正しい。これは間違っている。」

 

 

という持論をするようになった。

 

(二元論だね・・・。)

 

 

 

 

この世の出来事や考え方というのは、

 

 

必ず一長一短があるが、

 

 

違う価値観を受け入れる心が出来て初めて共存する事が出来るのかもしれない。

 

 

スピリチュアル系の話ではよく、

 

 

縄文時代は良かった。」

 

 

縄文時代のような社会にしよう。」

 

 

なんて言われているけれども、

 

 

 

「共存共生出来る雰囲気を作り出せたのは、価値観が違う人を受け入れる事が出来る人がいたからこそ。」

 

 

だと思う。

 

 

「結婚したら幸せになれる。」

 

 

のではなく、

 

 

「価値観が違う相手を受け入れる事が出来るから不幸を感じる度合いが減る。」のだと思う。

 

 

 

仮に「これは正しい。これは間違い。」

 

 

という心持ちのままで縄文時代のような世界に飛び込んでも、

 

 

幸せになれる事はないのかもしれない・・・。

 

 

(多分「正直者はバカをみる」と思っている人は対人関係に亀裂を生むのかもしれない・・・。)

 

 

(だから何事も一長一短なんだけど・・・。)

 

 

自分の場合は母親、

 

 

人によっては普段自分の周りで接する人間に対して、

 

 

「しょうがないなぁ・・・。」

 

 

というセリフを言える人と言えない人とでは、

 

 

人生の幸福度も変わってくるのかもしれない・・・。

 

 

(どのような人生を歩もうかという判断は、自己責任に基づく選択によるものですね・・・。)

タバコの禁断症状・・・。

 

禁煙を初めると身体に異変が出る。

 

 

いわゆる中毒症状なのだが、

 

 

スピリチュアル的な視点から言えば、

 

 

「禁断症状も幻想だ。」

 

 

という事になる。

 

 

何故禁断症状が出るのか?

 

 

と言われると、

 

 

「肉体を持っているから。」

 

 

という事になる。

 

 

スピリチュアル的な言い方をすれば、

 

 

肉体を離れてアセンションすれば解決出来る出来事である。

 

 

でも今回魂は肉体を持ったままアセンションする事を決めたと言われる・・・。

 

 

つまり、

 

 

今回のアセンションは肉体を持つ事で、

 

 

体調の変化による感情の変化も受け入れて行く必要があるとも言える・・・。

 

 

大いなる私の存在を認識し、

 

 

「喜怒哀楽」の感情を最大限に味わいながら遊びたいと言う気持ちが魂の目的でもあるとも言えるかもしれない・・・。

 

 

そんな二律背反(にりつはいはん)(アンビバレンス)の感情とも人生の中で付き合っていかなければいけない。

 

 

だから時折思考にとらわれる時間を過ごす事もある。

 

 

でも問題ないと思う。

 

 

そんな時間がある事も折り込み済みの人生として、

 

 

世界は完璧に回っていると思う。

十戒・・・。

 

最近特に歴史の古文書を詳しく、

 

 

エンタメ要素を入れながら解説するYouTubeにハマっている。

 

 

動画を見ていてあれこれスピリチュアル視点から気になる事があるが、

 

 

スピリチュアルなコメントは極力控えようと思い、

 

 

自分のブログで語ろうと思う。

 

 

今回「モーセ」についての話題になった。

 

 

人は十戒と聞くとまず、

 

 

「あぁ、あれこれしてはいけないんだ。」

 

 

という感想しか残らない事が多いかもしれない。

 

 

でも逆に、

 

 

「何でやってはいけないのか?」

 

 

という部分に視点を変えてみると、

 

 

「この世の仕組み」が見えてくるかもしれない・・・。

 

 

更に動画では、

 

 

モーセには角があった。」

 

 

という話題があった。

 

 

今の自分にまだまとまった結論が出ていないので何とも言えないが、

 

 

以前潜在意識からユニコーンの話を聞いた事がある。

 

まだ何となくの話ではあるが、

 

 

松果体から光が放出でもしているのかな?

 

 

とも感じた。

 

 

 

 

更に「モーセ」と牛頭天皇の話題が出ていた。

 

 

自分はよく分からないが、

 

 

西洋では獣として、

 

 

角がある羊だか牛だか悪い印象を持つ存在もいるみたいだが、

 

 

以前サンタクロースについての記事に書いたように、

 

味方となる者なのか、対立する者なのかの違いで、

 

 

残された逸話が変わって来ているだけで、

 

 

悪魔とされる存在と、

 

神様として祀られる存在は同一の存在なのかもしれない・・・。

 

 

 

タバコと空き時間・・・。

 

今回は頑張った!!

 

 

なんと一週間も禁煙!!

 

 

そんな自分に明日はケーキを買ってあげようと思う。

 

 

潜在意識との最低限の約束である一週間の禁煙生活。

 

(本当はまだまだ禁煙生活をしなさいと言われているが・・・。)

 

 

今回何故改めてタバコを吸ったのか?

 

 

と言われたら、

 

 

「禁煙する事でこんなにも良い生活が待っている。」

 

 

というイメージに執着を持っていて本当に良いのかな?

 

 

という疑問が湧いたから・・・。

 

 

(まるで、「結婚すれば幸せな生活が待っている。」という局地的な幻想に執着している部分と同じだなと感じてしまう。)

 

 

 

 

タバコは健康に悪いかもしれない。

 

 

でも禁煙している間に、

 

 

「こんなに頑張っているんだから、このくらい良い生活が送れないと納得行かない。」

 

 

という意識がずっとつきまとう。

 

(二元論世界特有の「ギブアンドテイク」思想・・・。)

 

 

まぁ、禁煙についてはボチボチやって行こう・・・。

 

 

禁煙している間はベランダに出る事もない。

 

 

タバコを買いに行かないので家から出る機会もなくなる。

 

 

手持ちぶたさの時間が増えても何をして良いのか分からない。

 

 

多分スマホ依存症の人が一週間スマホを触らないのと同じ心境を味わっていたのかもしれない・・・。

 

 

自分の場合、

 

 

タバコを吸っている方が、

 

 

ベランダで瞑想したりして、

 

 

空き時間を活用していたような気がする・・・。

 

 

何が人にとってベストな時間を活用出来るのだろうか・・・。

 

 

曾祖母の遺言は「タバコを吸ってはいけないよ。」と、

 

 

亡くなる直前まで言われていたから、

 

 

 

やっぱり禁煙生活がスタート地点なのかもしれない・・・。

 

 

 

とりあえず一週間は頑張った。

 

 

自分で自分を誉めてあげよう・・・。

「祇園」と「シオン」(とイオン)・・・。

 

昔中国語を勉強している時に言われていた事なんですが、

 

 

「日本人は「た」と発音しているつもりらしいけど、濁音が入った「だ」に聞こえます。」

 

 

と言われた。

 

 

多分中国の人やアメリカの人がヒアリングすると、

 

発音そのものがこもったような音に聞こえるのかもしれない・・・。

 

 

 

もうひとつ発音の話題に触れてみると、

 

 

 

江戸っ子のイメージなどで知られているのは、

 

 

「ひ」の発音が出来ずに、

 

 

「し」になってしまうと言われたりもする。

 

 

 

例えば、(こもりぎみに発音で話す)「ひぃおん」という言葉を「ぎおん」と捉えたり、「しおん」と捉える人もいたかもしれない・・・。

 

大胆な仮説として、

 

 

「日(ひぃ)」+「本(ほぉん)」という発音をしたら、

 

 

「ぎおん」になったり、「しおん」になったりするのかな?

 

(話の展開が無理やり都合良く合わせているけど・・・。)

 

 

 

ただ、

 

 

昔も今と同じように、

 

 

何らかの言語があったら、

 

 

方言や発音の違いはあったかもしれないね・・・。