蒼光龍 自己創造世界

自己研究家 人はそれぞれの思いで創られた世界で人生を過ごす事になる。自分の人生について、スピリチュアル視点から持論を語る。 

輪廻転生というのも・・・、

 

「喜怒哀楽」の感情を楽しむ為に用意された「地球」というゲームの中で、

 

 

思考から作られるカルマを基にしたゲーム要素とも言えるかもしれない・・・。

 

 

 

 

今回は前回の話の延長として、

 

 

普段書かないようなスピリチュアルの話題にしようと思います・・・。

 

 

 

人は他人が持っていない「超能力(まぁ、何でも良いんだけど・・・。)」に対して憧れを持ったりしがち・・・。

 

(本来万能なんだから持っていて当たり前なんだけど・・・。)

 

 

でも実際に万能の力を使えないのは、

 

 

前回の記事の内容で書いた理由から使えないだけなんだろうと思う・・・。

 

 

本当は「契約」や「交換条件」なんて付けなくても、

 

万能の力なんて元々持っている存在とも言える・・・。

 

 

実際に他人が持たない力を使える人の言葉で、

 

 

 

「自分の欲望の為に力を使ったら、今まで使えていた能力が使えなくなる。」

 

 

という話を聞いた事があるけど、

 

 

要は「執着が生まれたから制限がかかる。」

 

 

という事なんだと思う・・・。

 

 

無理矢理力を手に入れたら反動が帰ってくる(自分が外に出したエネルギーは自分に戻ってくる)事を考えたら、

 

 

う~ん、

 

 

そんなに無理(自我を操作)して得る力なら極力必要としない方が良いと自分は思う・・・。

 

 

(上記のような力を必要とする位に切羽詰まった状況で人生を現在歩んでいる場合は、誰も助ける事が出来ない。

 

自分の中で何かを譲歩して(考え方を変えて)人生の歩み方を見直すか、

 

切羽詰まる人生を歩まないようにするアドバイスする事しか出来ない・・・。)

 

 

物は考えようなんだ。

 

 

例えば、

 

 

現実世界ではテレパシーは「超能力」と言われる力だ。

 

 

でも、

 

 

「文字を使って読み書きする」

 

 

という能力も、

 

 

「口伝(語り継ぎ)」でしか情報を伝える方法がない世界

 

(書物にする事でしか情報を残す手段がない状況などは除いて・・・。)

 

で生まれた人からすればとんでもない能力なのかもしれない・・・。

 

 

これらの事も、

 

 

「思考や執着に基づいた縛りを付けたゲーム」で遊んでいる。

 

(テレパシーは使えない、文字も絵も残せないという状況で「喜怒哀楽」を味わうゲームで遊ぼう!!)

 

とも言える・・・。

 

 

 

なぁ~んて話しておきながら、

 

 

テレパシーをやっぱり使えたら、

 

 

世界の言語を覚えなくて良いだろうなぁと個人的に思う。

 

 

そんな事を考えるのも、

 

 

万能の力を使えないように制限しているからこその発想なのかもしれない・・・。

 

 

 

「万能や永遠」なんて100年も続ければ、

 

 

退屈極まりないと感じるだろうし・・・。

 

 

 

(永遠の存在なんて孤独極まりないよなぁ・・・。)

 

 

 

そんな制限を設けた世の中で遊ぶコツは、

 

(「私」によってカスタマイズされた世界なんだろうけど・・・。)

 

 

 

「思考や執着を手放す。」

 

 

もしくは、

 

 

「ホドホドに・・・。」

 

 

という事なんだと思う・・・。

 

 

あくまでも個人の感想です・・・。